死が怖くなくなってくる
子どもの頃から人間死んだらどうなるんだろうとか自分の意識はどうなるんだろうって
すごく怖くて、考え出すと夜眠れなくなっていました。
大人になってもその怖さはなくならなかったけれど、日々の仕事や生活に追われるうちに深刻に考える暇がなくなり
考えないようにしていればそのまま時間は過ぎていきました。
還暦近い今になってみると、もう何も怖くなくなりました。
父が亡くなったのも大きいです。
両親ともに長生きしていたので、身近に亡くなった人がいなかったせいか死が未知のもので不安や恐怖はずっとありましたが、ついに父が亡くなり
父はどうなったんだろう、どこに行ってしまったんだろう、完全に消滅してしまったんだろうか?といろいろ考えながら毎日父のことが頭から離れなくなって3年が過ぎました。
そして最近は、もういつ死んでもいいかなという心境になってきました。
死が怖いのは、生きる希望や夢や目的があるからなのではないでしょうか。
母の介護が長くなり、おまけに娘に孫の子守りも頼まれたりして毎日が人の世話に追われるうちに
行きたいところにも行けない、食べたいお店にも行けない、やりたい趣味もできないで、自分のしたいことが何ひとつできない状態が長く続いた結果
何も欲しなくなってしまいました。
食べることが大好きで、焼き肉の食べ放題に行きたいってずっと思っていたけれど
もう食欲もなくなって以前のようにたくさんは食べられなくなったし
母の介護があるから温泉やら旅行に行くのは不可能だし
趣味を楽しみたくても孫がいつ来るかわからないので部屋はいつも広いスペースをあけておかないといけないし趣味の物を広げておくわけにいかない。
私のしたいこと全てができない。
母が亡くなったらとか、孫が大きくなったらとか考えていたのに
そう期待することさえ疲れました。
もうあれしたいこれしたいなんて考えるのはよそう。待ち望むのはよそう。
知らぬ間に、私の心は何も欲しなくなってしまいました。
そして見えてきたのは自分の死。
多分、このまま年月が過ぎて
気づいたら自分が死ぬ年になっているんだろうなぁと。
母が亡くなったら私も死ねばいいかなと思うようになってきました。
諦めでもなく悲観しているわけでもなく、正直な気持ちとしてそう感じます。
母の最期を看取ったら、私の今世の役目が終わるような気がするのです。
母の死後の自分の生活設計とか自分の余生は考えなくてもいいんじゃないか?と思えるのはなぜなんだろう。
とにかく、今世やり残したこともないと思うほど私は心身ともに疲れきってしまったのかもしれない。