jinsei1dokiri's diary

犬好きの50代の日記です。犬の話を中心に日々の出来事や感じたことをいろいろ書いています。

死が怖くなくなってくる

子どもの頃から人間死んだらどうなるんだろうとか自分の意識はどうなるんだろうって

すごく怖くて、考え出すと夜眠れなくなっていました。

 

大人になってもその怖さはなくならなかったけれど、日々の仕事や生活に追われるうちに深刻に考える暇がなくなり

考えないようにしていればそのまま時間は過ぎていきました。

 

還暦近い今になってみると、もう何も怖くなくなりました。

父が亡くなったのも大きいです。

両親ともに長生きしていたので、身近に亡くなった人がいなかったせいか死が未知のもので不安や恐怖はずっとありましたが、ついに父が亡くなり

父はどうなったんだろう、どこに行ってしまったんだろう、完全に消滅してしまったんだろうか?といろいろ考えながら毎日父のことが頭から離れなくなって3年が過ぎました。

 

そして最近は、もういつ死んでもいいかなという心境になってきました。

死が怖いのは、生きる希望や夢や目的があるからなのではないでしょうか。

 

母の介護が長くなり、おまけに娘に孫の子守りも頼まれたりして毎日が人の世話に追われるうちに

行きたいところにも行けない、食べたいお店にも行けない、やりたい趣味もできないで、自分のしたいことが何ひとつできない状態が長く続いた結果

何も欲しなくなってしまいました。

 

食べることが大好きで、焼き肉の食べ放題に行きたいってずっと思っていたけれど

もう食欲もなくなって以前のようにたくさんは食べられなくなったし

母の介護があるから温泉やら旅行に行くのは不可能だし

趣味を楽しみたくても孫がいつ来るかわからないので部屋はいつも広いスペースをあけておかないといけないし趣味の物を広げておくわけにいかない。

 

私のしたいこと全てができない。

母が亡くなったらとか、孫が大きくなったらとか考えていたのに

そう期待することさえ疲れました。

 

もうあれしたいこれしたいなんて考えるのはよそう。待ち望むのはよそう。

知らぬ間に、私の心は何も欲しなくなってしまいました。

 

そして見えてきたのは自分の死。

多分、このまま年月が過ぎて

気づいたら自分が死ぬ年になっているんだろうなぁと。

母が亡くなったら私も死ねばいいかなと思うようになってきました。

諦めでもなく悲観しているわけでもなく、正直な気持ちとしてそう感じます。

 

母の最期を看取ったら、私の今世の役目が終わるような気がするのです。

 

母の死後の自分の生活設計とか自分の余生は考えなくてもいいんじゃないか?と思えるのはなぜなんだろう。

 

とにかく、今世やり残したこともないと思うほど私は心身ともに疲れきってしまったのかもしれない。

 

 

海よりも深く

樹木希林さんを偲んで「海よりも深く」という映画をAmazonプライムで見ました。

 

その中で衝撃を受けたシーンがありました。

阿部寛さん演じる息子さんとの会話シーンで、「コロッと死んで毎晩夢に出てくるのと、寝たきりになって長生きしてから死ぬのと、どっちがいい?」(という内容の台詞)

 

父はコロッと死んで毎晩私の夢に出てきます。樹木希林さん演じる母親が言ってたのと同じで夢の中で毎晩出てくるから私にとっては生きているようなもの。

そして母は寝たきりです。もうかれこれ5年以上になります。

母は少しずつ少しずつ弱っていき、まるで幼児だと思っていたのが2歳児レベルになり1歳児レベルになり…

暴れないので介護は楽です。というか、罵声や暴言に心が傷つけられて何度泣いたかわかりませんがその段階も過ぎました。

 

今、大変なのは下の世話だけです。

食事は自力でスプーンが持てなくなったので私が食べさせていますが、黙って口を開けて食べてくれます。

 

お腹の具合が、便秘になったり下痢になったりするのが本当に大変です。下痢になった時の後始末が精神的にやられます。

介護職の人を尊敬します。私は自分の親の紙おむつでさえ替えるのが辛いです。

 

でも、母がコロッと死んでいたら私は一生悲しみから立ち直れなかったと思います。

こうして少しずつ、母が母じゃなくなっていく姿に寄り添いながら何年も過ごすうちに、いつの間にか私は母から精神的に解放されてきています。

そう思うと母に感謝せずにはいられません。

共依存の関係だった母と私。

過干渉で気が強くて、絶対に逆らえなかった母。

けれど母無しでは生きていけないほど依存していた私でした。

それが今では私の管理下で完全介護の母になりました。

母の魂はもう半分あちらの世界に行ってしまっているようです。

人との別れにこんな「少しずつ」という別れかたがあるという不思議。

 

もう、いつ死んでも悲しまずに見送れると思います。

 

 

 

人間って

珍しく高熱が出て寝込んでしまった。

夜中に熱を計ったら40.5℃だった。

インフルエンザかと思ったが、翌日娘に医者に連れて行ってもらったらインフルエンザではなかった。

喉の痛みと腫れが酷かったが、処方された抗生物質で劇的に治った。

 

高熱で寝込んでいた時には母の食事と紙オムツの交換がしんどくてやっとやっとだった。

介護者が病気になったらダメだと痛感した。

それから自分が高熱で寝込んでも介抱してくれる家族はいないんだとも思った。

娘は近くに住んでいるが、所帯は別だし娘には娘の家族がある。迷惑はかけたくない。

 

寝込んでいる時考えたこと。

人間は高熱になると何もできない。だがこれが普通の状態だとしたら、人間は高熱でないからいろんなことを考えたり悩んだりするのではないのか?と思ってしまった。

そもそも平熱って何なのだろう。

平熱だから外出したくなったり買い物に行きたくなったりランニングやテニスや水泳がしたくなるのではないのか?

 

高熱で苦しんでいる時、普段の健康な状態がどれだけありがたいことか思い知らされたと同時に、平熱で活動している人たちがなぜか滑稽に思えた。平熱でいるばっかりに不要なことをして不要なことを考え悩みあくせく生きているんだよね。

 

 

 

あれから…

ブログを書いていたことさえ忘れていた。

あれから4年近くになる。

以前に書いていたブログを読むと10年があっという間に過ぎたとあるが、その10年は殆ど変化のない毎日だったと思う。

両親と同居の家で愛犬に癒されながら、仕事に追われる毎日だった。

 

その後、愛犬が死んで父が亡くなり母と二人きりになってしまった。

大きな家だったので母の介護が大変だったし常に目が届くように小さな家に引っ越した。

仕事もやめて母の年金が頼みの生活になった。

 

父が亡くなったことが私には物凄い精神的ストレスになっている。

私は父が大嫌いだった。外面が良くて身内には冷たい自己中で意固地な爺さんだった。

男性の平均寿命を遥かに超えて長生きしていた父。耳は遠いし目は悪いし、腕や首は上がらないし肉体は完全に終了しているのに、気は強くてかくしゃくとしていた。

 

大嫌いだったのに父が亡くなってからは毎日父のことを考えている。

多分、毎日一緒に生活していた家族が亡くなったという未体験の状況がストレスになっているのだと思う。

そして「死」についてまたしてもあれこれ考えるようになってしまった。

 

自分にとっても後十数年?今57才だからそんなに遠い未来ではないんだと思うとますます死後の世界があるのか気になる。

父はどこに行ってしまったのだろうか。

私が死んだら父に会えるのだろうか。

 

殆ど毎晩、夢を見ると父がいる。

普通に会話することもあれば、ただそこにいるだけのこともある。

父はちゃんと成仏できたのだろうか?

 

愛犬と父と母と暮らしていた生活は二度と戻らないんだなぁ…

 

 

 

 

 

私が初めて犬を飼ったのは、小学1年生の時だった。

どういういきさつかはわからないけれど、ある日突然我が家に犬がやって来た。

それは生後4ヶ月ぐらいのスピッツだった。

 

父が知人からもらったらしいが、もうフサフサの毛で被われた子犬で、赤ちゃんの時期は過ぎている感じだった。

 

とにかく気の強い、プライドの高い犬で、私や姉は完全に下に見られていた。

一度学校から帰って、姉と一緒に犬を散歩に連れ出したことがあった。

ところが、海に近い砂地の山のような所で突然発狂したように暴れ出し、子どもの力ではどうにもならなくなって、鎖から手を離してしまった。

その後、どのぐらいの時間だったか、砂山のまんなかあたりで私と姉は頭を抱えて犬がおとなしくなるまで半泣き状態で待っていて、その横を勢い良く上ったり下りたり何回も何回も力がなくなるまで走っていた。

 

それ以来、子どもだけで散歩に連れ出すのは やめた。

 

私の両親には従順な、頭のいいメス犬だった。

海が近くにあったので、夏はよく犬も一緒に海に行って泳いでいたのを憶えている。

 

その犬は結局4年後に死んだのだが、子どもだった私にとってはとても長い時間を一緒に過ごしたような気がする。

 

うちは転勤族だったので、その犬は4個所一緒に連れて行った。

庭がある社宅だったので、犬も一緒に転勤したのだった。

 

今から半世紀近く前の、昭和の時代の話です。

 

 

 

 

 

 

死について

死ぬことが怖い 

死を考えると眠れなくなる

子どもの頃、そんな経験を持っていたという人は多い。

 

私もそんな子どもの一人だった。

 

それが大人になると、わりとどうでもよくなって

というか、日常の生活に精いっぱいで

死について考えているヒマもなくて

 

気がついたらもう中年になっていた。

 

これまで生きてきた時間のほうが、これから生きていく時間より長い。

 

最近また 子どもの頃のように死について考えるようになった。

でも、あの頃の怖さとは違う。

 

自分の死ぬ瞬間は、どんなふうに訪れるのか?

死んだらどうなるのか?

より身近というか、具体的に気になるようになった。

 

同時に、ここ10年くらいの人生があまりに速すぎて

もったいなかったなあと思う。

 

もっと、いろんなことを味わって、噛みしめて、

毎日を大切にすればよかった。

 

1日 1日があっという間に過ぎてしまう。

 

あとどのくらい今の生活を続けていくことができるのかな。

 

 

 

 

シャンプー

皮膚病の具体的な症状は、洗った翌日から汗のようなものが皮膚から出てきて、

それがだんだん乾いて硬くなり、皮が剥がれるようにボロボロ落ちてくる。

 

今まで試したのは コールタール入りシャンプー、ヘキシジンシャンプー、ヨードシャンプーなど。

 

手作り石鹸も作ってみたし、試行錯誤してはみるものの、

悪化することはあってもなかなか良くならなかった。

 

ところが、先日の組み合わせが良かったのか、最近にない効果があったので書きとめておこうと思う。

 

まずはじめに《白雪の詩》という無添加石鹸で全身を泡立てて洗ってよく流した後、酢酸入りのヘキシジンシャンプーで洗って、

十分洗い流してから

仕上げに洗面器にヒバ油を数滴入れたぬるま湯に前足を浸からせながら前身に何回もかけてやり、後ろ足も同様に浸からせながら後身にもかけてやったのだ。

最後にさっと一通りシャワーでお湯をかけて終わり。

 

あがった後はタオルをやさしく巻いて、こすらないように気を付けて水気を取ってドライヤーで乾かした。

 

いつもより汗のようなものが翌日になっても出ていないし、

2日経っても皮膚が剥がれ落ちない。

 

多分、シャンプーとヒバ油の相性が良かったのかな?